命のはなし

語弊があるといけないので、先にお断りを。
以下のことは特定の誰かを否定したり中傷するものではありません。


さて、いったい何を急に言い出したのかというと。


ずっと、心のどこかに引っかかって離れない事があります。
それを、過去の終わったこと、過ぎてしまったことにはどうしてもできないのです。
長い上に、ヘビーなことを書くので、全然スルーして頂いて結構です。
もしこれを読んで、気分を害された方がいらっしゃったら、本当に申し訳ありませんm(_ _)m



今年の夏に問題になった口蹄疫。
それにより、すさまじい数の命が奪われたこと。


このことについて、ふと思い出しては辛くなり、考えないようにしてもまた思いだし・・・と、ぐるぐると答えの出ないループの中にいました。
でもやっぱり、自分の中では通り過ぎることはできない問題なので、
ものすごく迷いましたが、今思っていることを、ここに書くことにしました。




理不尽に殺された牛達がいます。

本当に殺す必要があったのか。
彼らを本当に守れなかったのか。
あれは大量虐殺ではないのか。

専門な知識があるわけではないので、「絶対」ということは言えません。

メディアからの情報が、どこまで正しくて、全てを報じていたのかも定かではないです。
このあいまいな「情報」で、日本中が大パニックになり、殺処分することがあたかも、
絶対的な策だと思わせる状況にありました。



「命」について、人はみな平等だと、何より重いものだと言います。でもやはり、口先の常套句でしかないのだな、と打ちのめされるのです。
今回の牛達に限らず、鳥インフルエンザや豚インフルエンザでも同様なことが起きています。
食肉だから。家畜だから。信用問題。国の決定。
それら人間の都合は、有無を言わさず弱い立場の命をかんたんに奪う。

「家畜」はいったい何なのでしょう。
人間が食べるための命でしょうか。
だから何をしてもよくて、彼らの「尊厳」は守られないのか。食べるためじゃなく殺してもいいのか・・・
わたしは、食べられる、というだけの命だとは全く思いません。
食肉として命を奪うからこそ、生かしてもらっているからこそ、
彼らに敬意の気持ちを持って相対さなければいけないと思うのです。

尊厳を無視した殺し方をして、
私たち人間、他の生き物、この地球上みんなが同じ重さの「命」だと、
殺されていった牛たちの前ではたして言えるのか・・・。



家畜が病気になったときに。
それを人間に置き換えたら、大量処分なんてできないはずなんです。
自分に病気がうつる危険があるから、病気になった人を殺すでしょうか。

逆ですよね。
病気になった人を治そうと、助けてあげようとします。
じゃあ、牛や豚や鳥たちが病気になったとき、なぜ助けてあげないのか?

病気にもよりますが、どんな生き物にも免疫があって、
放っておけば治るし、一度感染すれば抗体ができる。
それが必ず口蹄疫やインフルエンザなどに当てはまるかどうかはわからない。
ただ、自分たちの身に危険が及ぶかもしれない、という時に、
一方的に「危険」を排除する、というやり方は、あまりに乱暴だと思う。
都合の悪いものを消す、それって「戦争」と同じじゃないか。

都合の悪いもの、菌やウイルス、病気をどうやったって、根絶やしにはできない。
マイナスの意味ではなくて。
一つのウイルスをなくしたところで、また新たなウイルスが現れるんだから、
キリがない。口蹄疫だって、またきっと出る。
出る度殺すのか。国は日本の畜産を滅ぼすつもりなのだろうか・・・。
何度も同じことを繰り返すのか?
根本から間違っていると思います。


共にどう生きていくか。
それをもっと、深く考える必要があると、いつも思うのです。
自分たちが、自然発生した危険なウイルスに感染しないようにするには、
結局、個人の免疫力と予防なんだと思う。


殺処分に使われた時間も労力も税金もすべて、
病気になった動物達を助ける為に使ってほしい。



家畜は食べるために殺されます。でも、人間に食べられる為に生まれていた訳では決してない。

今回の問題は、食べるために殺す、のではなく、
病気に感染したから、殺しました。
また、感染してもいないのに、殺されました。
口蹄疫は、人間にうつる病気ではないのに、理不尽に殺したんです。
同じ殺すでも、この二つは全く対極にあると思います。


同じ重さのはずの命は、
同じには扱われていない。

それを当たり前に思う人が大多数なのでしょうか・・・。



どうすれば助けることができたのだろうか。
自分は何もできず、ただ嘆くばかりでした。
あの時、どんどん感染が広がって、問題が大きくなっていく中で、処分という決定に、毎日流れるニュースを見ていて真っ向から反対の声をあげる人はどれぐらいいたのでしょうか。
もちろん深い傷を受けたのは農家の人たちでした。
大切に育てた我が子のような牛達を、自分達の手で殺していかなければならなかった・・・想像を絶する苦しさです・・・
以前、事件に直面した、一つの農家の方々を追った番組を見ました。その農家の方は、記録を残すために、
愛する牛達の元気に生きていた時から、殺されていくまで全てを自分の手でカメラに残していました。

おなかに赤ちゃんを身ごもっているお母さん牛がいました。
処分の当日、生まれた赤ちゃん。
息をしていませんでした。
でも、農家の方は、生まれてきた命を生かすために、蘇生して、その赤ちゃんは息を吹き返しました。
農家の方々は、その子に名前をつけてあげました。
・・・そして、お母さんも赤ちゃんも、みんなその日、殺されました。

悲しさよりも、悔しさと許せない気持ちでいっぱいで、
言葉にもできない、その辛すぎる現実を見て、やはり、何か間違っていると思ったのです。


このような大惨事になったのは、日本人の本質にあるようにも思えます。
周りを見て、みなと同じが安心し、
同じ方向に行く中、一人が逆の方向に行こうとすれば、大勢で少数をたたき、批判する。

今回も、そんな空気が蔓延していた。
そんな気がします。
農家の人たちが、国の決定を拒否できたか・・・
その場合、おそらく弱い立場の彼らを「悪」として、それを認めない日本人特有の「空気」をつくるのだろうと思います。イラクの日本人拉致事件の時と同じように。

海外で、よくデモが起きます。
日本人にはあまり馴染みがないので、一見乱暴に見えますが・・・
納得できない自分達の思いや意見を体当たりでぶつけている。暴力に訴えるのは反対です。
でも、理不尽な決定を跳ね返すために、ああして行動できるのは、すごい勇気のいることで、そしてそれは、絶対ゼロでもマイナスでもないと、そう思うようになりました。

もし、今回のとき、農家のひとたちだけでなく、日本人みんなで反対の声を上げることができたなら、みんなで助けようという意志があったなら、
宮崎の農家の方々も、あの牛達も、
もしかしたら、救えたんじゃないのか・・・と思ってしまうのです。


自分は何もできませんでした。
無力さを痛感し、嘆くだけでした。
・・・ただし、考えることはできます。
大切な問題を、辛いから考えず、過ぎたことだから忘れる、なんてしたくもないし、それはただの逃げだと思うので・・・。



自分は生き物を愛しているのに命を食べていて、また、自分で命を奪って食べてはいない、という矛盾があります。
野生の生き物たちのように、命のやりとりをせず、他の誰かが育て、殺し、食肉となった命を食べている。
これは、フェアじゃない・・・。
そこを突き詰めていくと、生きていくのが苦しくなってしまうので、矛盾を抱えたままにしていますが・・・
やはり、自分の血肉となる命に感謝と敬意を払う。
もうひとつ、自分が食べる命のことを、どうやって自分たちの食卓に届いているのかを、
知る義務があるのかな、と思います。

自分に何ができるかはまだわかりませんが、
でも、こうして思いを発信することは無駄ではない・・・と思います。
いやなことを、自分の信念にそぐことを、NOと、間違ってると、言える人間になりたいと思います。
でないと、本当に守りたいものを、守れないで後悔することになる。

私にとっては、牛も鳥も虫も、みんな同じ愛すべき命です。
虫たちは多くの人間達の嫌われ者になっていますが・・・
同じこの星に生まれて、同じ宇宙の中で、同じ時の中で生きている、尊い存在だと思います。


どうか、命について、多くの方が考えてくれたら、そして、理不尽に命が奪われることがなくなることを願うばかりです。
ここまで読んで下さりありがとうございました。

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